「硫黄島いまだ玉砕せず」を読んで
岡邉晴香
歴史でアジア・太平等戦争を勉強すると、終戦→サンフランシスコ平和条約→日米安保条約→東京オリンピック…といった流れで日本は戦争から立ち上がっていきます。
ですが、条約が結ばれたからといって戦争が無かったことにはなりません。
戦場で戦った方や戦争で亡くなった方の遺族といった個人の話になると、簡単に相手を許すことはできなかったのではないかと思います。
そのような一人一人の気持ちが、立ち上がっていくきっかけになったのがこの本に書かれている和智恒蔵さんではないかと思います。
和智恒蔵さんは、戦時中は日本軍に所属していましたが、戦後は硫黄島で玉砕した部下の慰霊のために僧侶となりました。
そして硫黄島で亡くなった兵士の遺骨や遺品を遺族のもとに返そうと文字通り東奔西走しました。
歴史の教科書には載っていない人物ですが、日本とアメリカの関係に和智恒蔵さんが果たした役割はとても大きいのだと思います。
和智恒蔵さんが部下を思う気持ちや、遺骨や遺品さえ戻ってこない遺族のことを読むと、戦争が終わって条約が結ばれたとしても、一人一人の中に家族を失った悲しみや戦争の恐怖は消えないのだと感じました。
そして、それはきっと日本もアメリカも同じで、同じ思いを持つからこそ、硫黄島での「名誉の再会」でお互いに抱き合うことができたのだと思います。
この硫黄島での「名誉の再会」については3月のオリエンテーションでいただいた「平和への手紙」にも書かれていました。
これも学校では習いませんが、政府と政府ではなく個人と個人で日本人とアメリカ人が許しあうことができた大切な瞬間です。
今、日本人とアメリカ人が、少なくとも個人のレベルでは隔たり無く友達になれるのはこのような戦争経験者の方々のおかげだということを忘れてはならないと思いました。
日本人がアメリカに行くと、真珠湾攻撃の日には肩身の狭い思いをするということを聞いたことがあります。
今、日本とアメリカという国どうしの関係にアジア・太平洋戦争が影響することはほとんど無いように思います。
ですが、個人の中で戦争が無かったことになることはありません。
終戦から70年近く経った今でさえ、そうなのだから、終戦から間もない頃に「敵」の占領下にある硫黄島で慰霊をさせてほしいと諦めなかった和智恒蔵さんの行動力と勇気には本を読んでいる間中、驚かされていました。
そして、今、アメリカに交換留学生として行くことができることが決して当たり前のことではないのだとわかりました。
戦争中は敵同士だったとしても、戦後同じ人間として亡くなった方々を弔い、互いを思あった方々の上に、私の留学も成り立っているのだと初めて気が付きました。
アメリカに留学するにあたって、「アメリカで戦争の話になったらちょっと嫌だな」と思ったことは何度かあります。
ですが、和智恒蔵さんのように、日米関係なく亡くなった方を弔い、元日本兵・元アメリカ兵で個人個人がお互いに許しあえた「名誉の再会」を起こした人がいたことをアメリカの人にも知ってもらいたいと思います。
そして、自分がアメリカに留学生として行くことができるのも、このような方々の勇気と努力があったからだということを心にとめておかなければならないと思います。